治ることが怖かった

日々の気づき

※こちらのブログは私の個人的な考えと解釈を書き記したものです。

2021年9月化学物質過敏症を発症しました。

おおよそ2年経ちました。発症当初は”治る”イメージがまったくなかったため、このままの状態がずっと続くと信じていました。自宅から出られない人生を送らなければいけないと悲観しているにも関わらず、そんな自分を知られたくなくてどうにか前向きにならなければいけないと焦っていました。良くなりたいというより、このままの自分でどう幸せに生きるかを考え抜いた2年間でした。

そして
今年の4月半ばに統合医療の病院を受診したこと、生活面での工夫・改善してきたおかげで、少しずつ外出できるようになりました。

化学的な洗剤・柔軟剤、化粧品などの香りを嗅ぐとすぐ体調不良になっていましたが、今はその香りがしていることすら分からない時さえあり、そんな自分にとても驚いています。(体調不良になるときもありますが、回復がとても早くなりました。)

とてもほっとしましたが、それと同時に不安が湧きます。

なぜ不安になるのだろう?

このまま治ってしまって本当にいいのか?果たして治ることが本当に良いことなのだろうか?

とても不安になりました😥

いろいろなものが食べられなくて大変・悲しい←どうしてもここに意識が向きがちになりますが、

ある一部の人たちからみると


人工的・化学的に作られたものが分かって避けられていいね・うらやましい逆転してうらやましい才能になるようです。

これも才能?

そこで気がついたのです。私はどこか病気に頼っていた部分がありました。

病気があるとだれから心配してもらえる・気にかけてもらえると子どものころに学習し、私はそれがとてもうれしくて手放したくなかったのです。”病気を利用して周囲の関心を集める”自分を犠牲にしてでもかまってほしい人間です😅

そして私は
「化学物質に気がつくこと・分かること」=特別な才能があると思いあがっていました。

病気が良くなるということは、特別な才能がなくなるということ。

私の中にあった特別意識が脆くも崩れ去り、何を根拠に生きていけばいいのか分からなくなりました。何も特徴のない私には価値がないのではないか?焦りと不安でいっぱいでした。

霊とかオーラとか、一般的に目に見えないものが見える人たちは、自分の知らないことをすべて知っている・すべて正しいとしがちな私は、いつの間にか化学物質に気がつく私はすごいと勘違いしていました・・・

特別な才能があるなしは関係ない?

化学物質が分からないと価値がない世界線なら、私の人生の大半は価値のない人生です。その価値のない人生の中で私は、それなりにやりたいことをやれたし、行きたいところへ行けたし、食べたいものを食べることができました。嫌なことも悲しいことも塞ぎこむこともありましたが、満足度から言うとやはり化学物質過敏症以前の私の方がです。

特別な私でないと本当に受けいれてもらえない?

だれかから見るとすごいことは才能があることは、その方の素敵な才能であり個性ということに変わりありません。私にないものを持っている人を見ると、やっぱり羨ましい気持ちになります。

そうなりたい・ならなければいけないと思っていました。

けれど
まわりの人に羨ましいと思ってもらいたくて、適性がないものをいくらがんばっても、その人のようにはなれません。無理をしてだれかの服を着ているようなものです。

そして化学物質が分からなくなることで、今なお苦しんでいる化学物質過敏症の人たちの気持ちを推し量ることができなくなるのでは?と気がかりでした。。
私はこの病気になるまで、こういったことで苦しんでいる人たちがいることに気がつきませんでした。そうやってまた知らず知らずのうちに、だれかを犠牲にして生きてきた私に戻ってしまうのではないかと不安が募りました。

ですが
化学物質だけを気をつけたからといって、社会構造など根本的には変わりません。

今も私は私が知らないだけで、だれかの犠牲の元、のうのうと安全な場所で暮らしている

そうです。いろいろと理由づけをしてきましたが、私はこの事実が受け入れることが難しかったのだと思います。

そのために
自分自身を同じように苦しい状況に置きたいのです。私のせいだと責めたり悲観したり、同じように自分を苦しめて罰した気分でいました。

長い間その方法しか知らなかったのです。

私は
もう体験したいことを体験したから次に行く番だよと背中を押されているのに、まだココにいたいと駄々をこねていたかったのかもしれません。

腹を決めて
だれかを犠牲にして私は成り立っていると認め、私の中に悪はあると認める。

そして
それを悲観したり自己否定につかうのではなく、その恩恵に感謝して今の自分に備わっているもので何ができるのを考えて、自分のできる範囲でやってみようと思うようになりました。

自分の思った通りにならないかもしれません。よい方向へ変わらないかもしれません。時間がかかるかもしれません。解決しないかもしれません。


けれどここは
自分の在り方次第で、苦しみの中から、自分自身の核を見つけられる世界です。

大丈夫。
どんなことがあったって乗り越える力があなたにはある。

最後までお読みいただきありがとうございました。

愛と感謝をこめて。

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