新しい循環の芽吹き

過去の記事

こちらは2022年11月26日の記事を再編集しました。

わたしがこころに注目する理由

わたしは化学物質過敏症になってから、「過敏症のことを発信していったらいいんじゃない?」とアドバイスをいただくことがあります。

今はまだ知られていない病気?症状?であり、だれにでもなる可能性があります。これから発症する人が増えるだろうとも言われています。もし当事者になったとしたら、過敏症の情報をまとめたブログ等があると助かります。(すでに過敏症当事者の方たちが、情報発信をしてくださっているおかげで、とても助かっています。ありがとうございます。)

わたしも自分が役に立った商品などを紹介することで、あとに続く人たちが少しでも楽になったらうれしいという気持ちはあります。

けれど・・・

近くに専門病院がないため、自己流で対応していること。(ただでさえよく分かっていない症状なのに、読んだ方をさらなる混乱に陥れかねない)化学物質の知識を得ようにも、そういった本を読もうとすると拒否反応がでること。

今まで使ってきたものなのに
急にこれはダメだから使わないようにしようとすると、
今まで使ってきた自分ごと「ダメ!」と
否定された気分になってしまうのです。
(打たれ弱くてすみません)

ワクワクの視点でものごとを見るより引用

そして
化学物質過敏症の原因物質や症状は、人それぞれで一括りにできません。

わたしが反応しない物質でも他の過敏症の方は反応するかもしれませんし、わたしが平気で使える商品が他の過敏症の方は使えない可能性があります。わたしの場合は、知識も専門的な治療を受けた経験もないため、適切なアドバイスができるという自信がありません。

だったら
過敏症に詳しい専門家の意見や、きちんと勉強されている方の情報を得る方が、苦しんでいる人たちのためになると思ったのです。知識のない・治療の経験もないわたしが、変な親切心を起こして、(その人にとって)合わないことや間違ったことを伝えることが一番よくないことだと思いました。



そのうえで
大局を見て何が一番大切かを考えたとき、
わたしの場合は
「こころ」「精神性《spirituality》」でした。

振り返ると
化学物質過敏症になった当初は、本当に精神的に辛かったです。いろいろな病気をしてきましたが、特に過敏症が辛いと思うのは‟空気を吸えない”ことです。今まで意識せずにやっていたことが急にできなくなる辛さ。地味に堪えました。

水も飲めない。食べる物もない。

しかし辛いと感じ出したのは、家の環境を整えて少し落ち着いてからのこと。渦中にあるときは必死すぎて分かりませんでしたが、辺りを見まわす余裕ができて辛いとやっと気づきました。

率直にいって
よく生きていたなと思います。

わたしの日常生活を見ている弟には、今でもたまに言われます。「自分なら耐えられないし、塞ぎこんで寝込む」と。

過敏症は過敏症が原因で死ぬことはないと言われていますが、過敏症になったために精神的に追い詰められて死を選ぶ方もいます。

身体感覚に集中していたことが逆によかったのだと思います。
(特性は嗅覚に鋭い炭治郎に近いですが、気持ち的は善逸に近いです)


わたしの場合は
かなり追い詰められて実際は綱渡り状態でしたが、(今まで数々の病気をしてきた経験があったからこそどうにかなるとどこか楽観的だった気がします。

※特性や病気のあるなし関係なく、もし自分が壊れそうになっていたり、追い詰められていたりしたら、躊躇せずにまわりに相談したり専門家にかかってください。自分でどうにかすることが重要ではなく、まず自分を大切にすることを優先してください。

わたしが体感したことがすべての人に当てはまるわけではありません。異なる意見がある方がいることも理解しています。

それでもこころ・精神性を発信したいと思う理由は、まわりから見たらどんなにひどい状況だとしても、こころ次第で不幸のどん底に溺れないですむし、たとえ状況が異なっていても応用がきくと思ったからです。

自分やまわりを、加害者・被害者にすることは簡単。

こだわりすぎると人にそれを押しつけて迷惑をかけるのではないかと怯え、そして気をつけて生活しないといけない今の自分は、まわりに迷惑をかけるだけの存在だと不安に押しつぶされてしまいそうになりました。

申し訳ないの胸の内より引用

なにかの病状などで体調が急に悪くなる人を「まわりにいる人は迷惑だと感じるはず」と思っている自分にも気づかされました。

申し訳ないの胸の内より引用

自分を大切にすることより、もったいなさが勝つときがあります。

最初はオーガニックのお野菜は必需品ではなく嗜好品

わたしにはもったいない・贅沢なもの
という気持ちがあり、
なかなか踏み出せませんでした。

見据えるのは常に「今」の幸せより引用

けれど
ご縁をいだたいた方々によって、気がつくことができました。

いろいろなものが食べられなくて大変・悲しい←どうしてもここに意識が向きがちになりますが、

ある一部の人たちからみると

人工的・化学的に作られたものが分かって避けられていいね・うらやましい逆転してうらやましい才能になるようです。

これも才能?より引用

だれかのせいにして怒ってみたり

同じものを見ていても
どこから見るかで全く異なることに気づかなかったり、

申し訳ない気持ちで縮こまってしまったり・・・

自分にとって嫌なことが、だれかにとっては羨ましいことだなんて、想像すらしませんでした。

一つの事柄のなかに
光も闇も同一にあるけれど、
わたしたちは
自分が見たい方だけ見たくなる。

自分にとって都合のいい方だけ欲しくなります。

自分と同じような考え方やレベルの人ばかりだと高い低いも存在しません。平坦で差のない世界です。言い換えると、自分の特性・特徴が高低差を創り出しているのです。

わたしは
わたしを羨ましいと思ってくれる方と出会い、わたし自身がそこに高低差を生みだしていることに気がつきました。

そしてそれだけではなく
弟から週一ペースで、「(分かっちゃいるけど)そのめんどくさい過敏症をどうにかしてよ」と言われ続けています。もし羨ましいと思う方だけに囲まれていたとしたら、自分は特別なんだと勘違いしていたと思いますが・・・差があることで羨ましいと思う方も、同時にやっかいな特性と捉える方もいるのです。分かってくれる人がいて、分からない人もいて、分かろうと努力してもなお、めんどくさいと思う人がいる。

いろいろなパターンを
わたしが創りだしているということ。

分からないことが悪いわけでも、
分かるからいいわけでもありません。

違い自体を善悪に分けて、
ジャッジに使わない。

判断は「自分がしたいかどうか」「自分に必要かどうか」なだけ。

弱さはわたしへのギフトより引用

まわりの価値観・意見・想いばかりを優先したり、自分のなかの悲しさ・怖さ・困っているが直視できず間違ってまわりにイライラをまき散らしたり、いろんな失敗をしてきて思ったのは

敵は自分が作っていて、
人生はわたしなりの愛し方を探すクエストであり、
世界は自分のこころの反映であるということ。

いつもありがとう♡わたし。

人のせいにしない。
ただただありのままの自分の感情・想いに寄り添う。受けいれる。

そのうえで
わたしはどうしたいのか。どうしてほしいのか。なにが必要なのか・なにが適切なのか考えたいと思います。

違いも共通な部分もどちらも大切だね♪

自立とは
金銭的自立やだれのサポートも受けずに生活することだけではありません。

こころの自立も大切というと、なんでも自分で判断できることになりそうで、少し違う気がします。

本当のこころの・精神の自立は、自分で判断できなかったら「分かりません」「助けてください」と言えること。ダメな自分・弱い自分を認めること・相手を信頼し頼ること・任せることができること(その中で生じた違いや嫌なことは、怒鳴り散らしたり、我慢で解決せずにできる範囲で交渉していくこと)だと思うのです。

間違っても失敗してもいい。ブレたり反省しながら、外側に発散するのではなく、内側でエネルギーを循環させ自分の中心に戻すこと

そうやって
こころの自立した者同士が、個として立ち関係性を育むと、新しい循環と関係性が生まれていく。

そう思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

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