病気を通して変化してきた気持ち

化学物質過敏症

 こちらの記事は、体験を通して感じたことを備忘録的に書き記したものです。すべての方に当てはまるものではありません。この記事の内容が正しいわけでもありません。いち個人の体験談として、参考になるところがありましたら、うれしいです。

情報の受けとり方に変化がおきる

化学物質過敏症を発症し、今年で3年目。
食材や洗剤等、生活必需品を工夫することで、体調不良はかなり軽減しました。

そしてなにより、
感じていることがあります。

それは
情報の受けとり方の変化です。

以前の私はというと、
ものごとを否定的に見る達人😅

言われてもいないのに、
勝手に否定的に解釈して落ちこんでいました。

これもダメ、あれもダメと言われたら
どんどん気が滅入ってきてしまったのです。

ワクワクの視点からものごとを見るより引用

指摘=否定?

例えば友人から食品添加物・農薬・界面活性剤・電磁波などの詳しい本を借りたとします。
難しくて途中で投げ出したい気持ちを抑え、なんとか読み進めようとかんばっていると、その本が私を否定しているように感じてくるのです。

それはなぜか?

なにも考えずに、
本の中で指摘されていることをしてきたから。

そのころの私の思考回路は
”指摘されること=否定”

わたしを全否定している・・・ひどい。

と勘違いをしていました。

落ちこみながらも挽回しようと、
書いてある通りにきちんとやろうと意気込みますが・・・

同時に
その本の「正しい」を、押しつけられている気分になります。

そこで疑問がわきました。

これが私の幸せなのだろうか?

読まずに積みあがっていく本たち

変化してきた気持ち

以前は
商品に関わってくださった方々に感謝をしながら、これからも使っていこうと考えていました。

私は少しくらい体に悪くても
感謝しながらハッピーな気持ちで食べよう

ワクワクの視点からものごとを見るより引用

化学物質過敏症になって少し経った時は、
おかげで便利な生活をしてきたことに、感謝しようと思うようになりました。

化学物質も
だれかを困らせようとして生まれたものではなく、だれかの暮らしを幸せにしようとできた「愛」。化学物質もそれ以外のものも元をたどれば「愛」でできていて、その「愛のカタチ」が違うだけ。

ワクワクの視点からものごとを見るより引用

「感謝」や「愛」にフォーカスしていく。

どちらも
どうにか自分の中で、折り合いをつけようと必死でした。

今思えば
自分が「ものごとを否定的に受けとる達人」ということを無視(ないものとして扱って)して、できるだけ肯定的に捉えるためにひねり出した解釈。

ですが
この解釈たちに助けられたことも事実。
この過程があったからこそ、乗り越えることができました。

相手や情報は自分の鏡

今の私は、
参考したいところは参考にしようというスタンス。

そう思うようになったきっかけは、

今まで否定していると思ってきた本たちは、本当はわたしを否定しているわけではないと気がついたからです。

以前の私は、
自分の正しさを主張することに必死で、その情報を前向きな気持ちで受けとっていませんでした😅

押しつけられているのではなく、鼻からその情報を、「あやしい・おかしい」と疑いの目で見ていました。私の常識からかけ離れているので、信じがたかったのです。

そのため、
その本の情報は「偏った意見」と、決めつけていました。

ありのままのわたしがヒントをくれる

指摘は、他のやり方の提案

本の主張したいことと、自分の行動・価値観を、結びつけて考え、感情的になっていた自分。
ふたつに境界線を引いて、切り離して考えてみます。すると少し冷静になり、新たな視点が生まれました。

しかし
否定的にものごとを捉えやすい私は、そう思えないときもあります。自分の意見が正しいと意地を張りたくなります。

ういうときは無理をせず、
否定的に感じることもあると受けいれていく。


そのポイントは、
自分の意見を大切にしたいところだと受けいれていく。

ありのままの自分の感情をヒントに、多角的な視点で、目の前の状況とどう折り合いをつけていくのか?

紆余曲折を経て、
少しずつカタチになってきたように感じます。

過去からの教訓を活かす

香害・化学物質過敏症当事者等は、まわりの方の協力に助けられています。

私は体調が悪いと特に、自分のことで頭がいっぱいになり、相手への配慮を疎かにしがちです。本当の気持ちが伝わりにくい表現をしてしまいます。

自分のこういった性格を理解していくにつれ、今度は相手の発していることばの背景を見るようになりました。

あなたが
柔軟剤や合成洗剤などの香りに悩んでいる方から、「柔軟剤を使わないでほしい」と伝えられたとします。

受けとり方によっては、使わないことが当然と主張しているように聞こえ、相手から責められている・不当な要求をされているように感じるかもしれません。

私もそうでした。

今は(こころに余裕のある時・・・・・・・・・・)その背景を見て、

もしかしたら
「こういうことに困っています。協力してもらえませんか?」と、お願いされているかもしれないと思うようになりました。

五感を通じて感じる感覚は人それぞれ。
相手によっては、なぜそうする必要があるのか、分からないこともあります。

「私はこういう特徴があるので、協力してもらえるとうれしい人です。」と、自己紹介をするように伝えると、相手にも想像がつきやすい気がします。

しかし
いろいろな事情があり、協力が難しい場合もあります。すぐに変わらないことに、もやもやするかもしれません。

私たちはそれも承知のうえで

いろいろ人がいて、いろいろ場合があって、いろいろ結果の中、相互に作用し助けあって生かされている。そんなふうに思うのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

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