弱さはわたしへのギフト

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こちらは2022年11月19日の記事を再編集しました。

検証材料がいっぱいある!!

わたしは自分やまわりの人の、一つひとつの言動が気になって、ぐるぐる考えてしまうタイプ。それがずーっと嫌で、どうにかしたかった。

気にしないように、平気なふりをして、長い間自分を偽って過ごしてきました。

やっぱり平気なふりはただのふり。根本的には変わっていません。本当は平気ではありません。ただ目を背けただけでした。

もう抱えきれないから、このぐるぐる悩んでいる自分を晒してしまおう。

そんな気持ちは全くなかったのですが、note(最初はnoteに記事を書いていました)を書いているうちに、書くことが頭の中の整理になると気がつきました。よい傾向だと思い、自分の感情や考え方の変化を書くようになりました。(現在は詩の創作が主になりつつあります)

そしたら
自分の気持ちを書く行為を、肯定的に捉えてコメントをくださった方がありました。とてもうれしかったです。(読んでくださること自体が励みになります。ありがとうございます✨)

いいねの反対はダメ?


わたしは些細なことが気になって、考えすぎる自分が嫌でした。

けれど考えてみると
このわたしの弱さは、悪いことだけではないのかもしれません。気になることがいっぱいあるということは、noteに書けることがいっぱいあるということであり、振り返ったときに検証材料がいっぱいあるということです。

繊細で考えすぎる自分は弱いからダメ×
できないことがいっぱいある自分はダメ×
多少のことは気にならない、
胆が据わっている人は良い〇
なんでもできる人は良い〇

「イラスト:Loose Drawing」

いい・悪い。善悪。正しい・正しくない。
どちらかに振り分けたくなる自分がいます。

振り分けて
自分が良いと思わなかった方を否定しなければ、自分の判断がまわりに認められないと信じていました。

弱さや繊細さってギフトなんだ。

そう思ったら気づきました。

自分の「いいね」の反対を否定しなくていい。強さがいいと思っていても、弱さがもつ可能性を否定しなくてもいい。そして逆も然り。繊細に分かりたいと思っていても、強さのもつ役割を否定しなくてもいい。

気づかないのが悪いわけではないし、いちいち気づくことがダメなわけでもない。

ただ自分と違うだけ。

わたしとは違うけど、それもありだよね。と肯定的に捉えてもいいし、肯定も否定もせずに在り方そのものとして受けいれてもいい。

違い自体を善悪に分けて、
ジャッジに使わない。

判断は「自分がしたいかどうか」「自分に必要かどうか」なだけ。

もちろん否定したくなる自分もいます。わたしの経験上、そういう自分を見つけたら「そんなことしたらダメ!」と正論で否定して、自分を抑え込もうとします。

自分を抑え込もうとすればするほど、あとになって手が負えなくなりました。その抑えた気持ちが、どろどろに腐敗して、回収することが難しくなっていきます。

あぁ、否定したくなってるなぁ、わたし。をちゃんと見る。相手に伝えるかどうか別として、嫌だと思ったら嫌だと思うわたしを見る

すぐに否定したくなる。嫌なものがいっぱいある。いい人になりたくてがんばるけれど、笑っちゃうくらい、いい人にはなれないわたし。

みんなに好かれることは難しい。それでもおもしろがってくれる人が、この広い地球のどこかにいます。

わたしは繊細で弱い自分が好き。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

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