今になってやっと分かってきたこと

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こちらは2022年9月14日の記事を再編集しました。

「整理」とは「いるものといらないものを分け、いらないものを捨てる」

「整頓」とは、「必要なものをいつでも誰でも取り出せるよう、秩序だてて配置すること」

みんなの仕事場より引用

わたしは整理整頓が得意ではありません。そのことを含めて、ある会社では上司だった方に、人格否定のようなことを言われた経験があります。

※これまでのわたしの考察を記事に書いてます。

同じ現象に出合う本当の理由

怒りの奥にあったもの

言われたときは
こんなにがんばっているのに、なんで分かってくれないの?なんでこんなに言われないといけないんだ!!と分かってくれない相手のせいにして、それ以上考えようとしませんでした。

そしてそのあと
気持ちを切り替えて就職した会社の上司の方は、わたしよりさらに机の上が散らかっていて、衝撃を受けましたΣ(゚Д゚)

これでいいの?怒られない?



その上司の方は仕事ができ経験豊富ですが、たまに(いや、けっこう頻繁に)探し物をしていました。まさに片づけられない人の典型。上司の探し物をみんなで探す。そんなことがよくありました。

そのとき気がついたのは、
わたしはそんなに机が散らかっている人ではないということ。

整理整頓が苦手な上司は、上司の上司に怒られているものの、結局は許されている?(愛されている?受けいれられている?)光景を何度も見ました。

よくはないことかもしれませんが、片づけられないことは、その人の特性としてあり得ることなんだということ。

わたしの場合は
整理する=いるものといらないものを分けて、いらないものを捨てることはできますが、整頓=必要なものをいつでも誰でも取り出せるように秩序だてて配置することが苦手です。自分の置きやすいように置くとか、あったであろう場所に戻すということはできます。

これが怒られる原因になっていました。
秩序だてて配置できないため、他の人が使いたいときは、まずどこにあるのか探すところから始まります。整頓できていればすぐに仕事に取り掛かれるのに。

「片づけておいてね」は、多くの場合「整理しておいてね」ではなく、「整理整頓・・しておいてね」です。

わたしには、それが分かりませんでした。

怒られないように、わたしなりにがんばってみても、結局は怒られます。がんばりが足りないのだと思い、もっとがんばると「違う」と言われます。もう、どうしたらいいのか分からなくなりました。

今なら分かります。

わたしに怒っていた人は、
自分の理想通りに(思い描いたように=指示通りに)してほしかったのに、わたしはその人の理想通りにできなかったのです。

できなかったでは語弊があります。


まず、その人とわたしでは整理整頓の捉え方が違っていたように感じます。

つまり
同じ言葉を使っていても、同じ意味として使っていなかった。
そのことが分からなかったのです。自分の捉え方で取り組めば取り組むほど、「そうじゃない」と怒られていていました。

その人の理想のレベルに追いつけなかったという言い方もできます。相手がそれをできない人がいると理解できないという捉え方もできます。そして、わたしの言う「片づけ」はここまでやってほしいと、相手が伝えきらなかったとも言えます。

本当はいろいろな見方ができます。

否定されている。怒られている。
それなのに、わたしの認識できる見方は一つしかありませんでした。


理想通りにいかない現実を受け入れられるようになって、怒っていた相手の立場にたち、理想通りにならないと(自分が思った通りにならないと)嫌だったんだと気づき、


相手の理想と自分の理想が違うことも理解できるようになりました。

同じ言葉だからといって、同じ意味・レベル・責任で使っているわけではないのです。相手は自分と同じように考えているはずと思うのは傲慢だったと分かってきました。

これが分かっていないと、気づかないうちに相手の領域を侵害して、自分の理想を押しつけてしまいがちになります。わたしはずっと分からなくて、相手にも自分にも強要して、がんばりすぎていました😞

机が散らかっている上司の方は、細かい事務作業は苦手ですが、交渉や営業が得意でした。それにわたしに、もっと片づけられない人は世の中にいっぱいいると教えてくれた恩人です。もっと広い目で世の中を見なさいと諭してくれたように思います。(直接アドバイスをされたわけではありません。その上司の方の存在がわたしに教えてくれました。)

そして
その特性は書類の配置やファイリングなどを工夫したり、得意な人に少しサポートしてもらえば、問題が問題ではなくなるかもしれません。

特性とは、その人すべてを現すものではなく、その人のなかの一つの特徴なだけ。その人すべてを否定しているわけではないということ。

苦手なことがあっても
できないことがあっても
その事実と自分自身を否定されることを混同しない。

その物事を多角的な視点で見ること。

だれかの理想は理想。自分のなかの正義は正義。

お互い違うと認めたうえで、
どう交渉していくのか。


これからは
この考え方が必要になってくる時代かもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

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