「呼応する」詩の背景
窓ガラスの雨粒を「きれい」と感じる。
気を留める人はどれほどいるでしょうか?
きれいだと感じる人がどれほどいるでしょうか?
わたしは天気が気になる時、窓を開けて確認するか、窓の向こう側を見ます。窓ガラス自体に注意を向けることはほとんどありません。
「きれい」と思える感性がとても素敵✨と思うのに、同時にそう思える人がまぶしすぎて辛いと感じる自分がいます。
詩を創作していると、
ことばの端から「そう思えない自分はよくない」「うらやましい」気持ちがでてきます。
これを表現したかったわけじゃなーい💦
たしかにわたしは
雨粒に意識が向かないかもしれません。
きれいだと感じないかもしれません。
そこは
その人の感受性が豊かな、よいところです。
では、わたしのよいところはどこだろう?
暗く重たい雲。やまない雨。
そういった天気の場合、気持ちが落ち込みやすくなります。
鬱々として過ごす日もあれば、
雨だからこそおうちで読みたい本や映画が見よう♪と切り替えることができる日があります。
相手はすごい!!
自分にないところをできるようにがんばろう。
うらましいと思いがちですが・・・
区別や差があっても、
どちらも雨を楽しむ点は同じ。
優劣はありません。
(あったとしても、人によって・捉え方によって、その優劣は変わります)
どんな状況であっても、そこからギフトを見つけるスキルです。
どちらもすごいね!と言いたかったんだ
もやもやしていたのは、
「相手のよいところを認めたうえで、わたしにもよいところがあるよ」と自分に伝えたかったのかもしれません。
本当の気持ちに気づけたこと。
わたしにとっては、
うまく表現できた・できなかったより大切なことです。
ことばがうかばず、創作活動を諦めかけた時期がありました。
今回の詩を通して、もう一度やってみたい気持ちがわいてきます。
創作に苦しみ、
創作に助けられる。
これも
醍醐味の一つかもしれませんね😊
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
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