こころの声に耳を傾けて

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こちらは2022年6月27日の記事を再編集しました。

分からないことが増えていく

あなたはだれかに
「私に合うものを教えてくれませんか?」とアドバイスを求められたらなんと答えますか?

「これがおすすめだよ」などと自分なりの視点で、相手に伝えようとするでしょう。

わたしは自分視点でアドバイスをすることに、最近さらに自信がなくなりました。。

選択を迫られているわけではないし、ただのアドバイスなのだから重く考えすぎじゃない?と思われる方もあると思います。自分の得意なことや興味のあることを聞かれたら、もったいぶってないで教えてあげればいいのに・・と思うかもしれません。

たしかに、得意なことなら断言しやすいです。

けれど
最近のわたしの「これがいいよ」は、わたしが試した結果、わたしの感覚に合っていたものです。この気持ちが強く、すべての人に当てはまることでありません。

自分のことしか分からないわたしが、人にアドバイスをしてもいいのだろうか?

アドバイスの基準は?

これまでわたしは
何を基準にアドバイスをしていたのだろう?

振り返ってみるとアドバイスの中に、「常識」だからこうした方がいい「普通」はこうだよと意味をこめて使っていました。
自分の考えではありませんでした。相手を思いやったアドバイスでもありません。世間の「常識」や「普通」に当てはめて、その枠からはみ出さないように、言葉を選んでいただけです。

自分も相手も、世間の「常識」や「普通」の枠に入ることは、世間のいわれのない悪意から守ること。わたしは自分と相手を、ある意味守りたかったのだと思います。

ですが
世間の「常識」や「普通」=自分の思っていた「常識」や「普通」だと気がつくと、状況が一変します。

「今まで辛いと言ってごめんね。好みではなくて、味が分からなかっただけなんだね」と母から謝罪をされました。

振れ幅大きくいきましょうより引用


わたしは自分の味覚が正常(普通だ)と疑いもしませんでした。母とは味の好みが違うだけ。母が言っている味が濃いというクレームは、目をつぶってもらえる範囲(自分も同じように味を感じている前提)だと勘違いをしていました。

つまり、味の感じ方はだれもが共通であるという土台から話をしていました。けれどお味噌を新しくしたことで、共通だと思いこんでいた土台が、一人ひとり異なると知りました。

わたしが味が薄いと感じる味は、果たして他の人も同じように薄いと感じているのだろうか?

疑問が膨らみます。
考え出すとなにが正解か、どんどん分からなくなりました。

最後の選択は自分!


わたしができることは、自分の経験を伝えること。薄情かもしれませんが、これしかできないと気がつきました。

専門家でもないわたしが、わたしに合っているからと言って、あなたにも合うかどうかは、わたしには分かりません。

カテゴライズされて安心したい。他人(その分野の権威など)から「これがいいよ」と言われると鵜呑みにしてやってみて、効果がないとやっぱり違うじゃんとその人のせいにしたくなります。(←よくやります)

世間の「常識」や「普通」。
だれかのせいにしていれば、自分の決断の責任をとらなくて済みます。

そして
専門家は専門分野に詳しいですし、先に体験してきた人たちの知恵もとても参考になります。

そのアイデアを取り入れると決めたのは自分自身ですほかのだれでもありません。

だとすると効果がないのであれば、自分がその人の考えを鵜呑みにして招いた結果。

他でもない。わたしが決めて起きたこと。

だからこそ、結果を真摯に受けいれていく。

わたしの正解はわたししか分からないように、あなたの正解はあなたしか分かりません。

Photo by Vincent van Zalinge on Unsplash


一瞬一瞬
こころの声に耳を傾けて、
自分なりの道を進んでみよう
と思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

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