怒りの奥にあったもの

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こちらは2021年9月5日の記事を再編集しました。

正しさの主張

私は相手と接していて何か問題があった時

(こっちが正しいのに)なんでしてくれないの?

(こうすることが当たり前なのに)なんで分かってくれないの?

外に出さないようにしながらも
内心はイライラして怒っていました。

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これまでの私は相手が悪いと決めつけて、
どう自分の正しさを理解してもらうか・
自分が優位に立てるかどうかばかり考えていました。

弱みを見せないように、
マウントの取り合いに負けないように、
傷つけられないように。

けれど、
すればするほど疲れていきます。

傷つけられたくないから
人に嫌な思いをさせたり、
むやみやたらに臨戦態勢でいることは
私にとって本当に大切なこと?

私は相手に怒っていたわけじゃないのかもしれない

「こうした方がいいんじゃない?」
と言われるだけでは
相手から否定されたとは言えません。

それでも
相手から否定されたと思いたかったのは、
指摘されるまで気づけなかった・
うまく対応できなかった自分が許せなくて、
相手のせいにして誤魔化そうとしたかったから。

そうだ!

私は自分自身に怒っていたんだ!!

なんでこうしてくれないの?→(自分自身に)なんでできないの!

なんで分かってくれないの?→(自分自身に)なんで分からないの?

と自分をずっと責めて怒っていました。

怖いながらも(社会の常識や価値観で決めたとしても)判断してがんばって行動した私を認めることなく、やってみてできたらそのくらいするのが当たり前・なんでもっとできないの!とさらに高い要求をしていたことに気がつきました。

自分自身から怒られる→不安・恐怖・寂しい→他人にせいにする→怒り

なにをしても
自分に怒られて
私はずっと寂しかった。

自分自身を「そのくらいできて当たり前」の視点で見ているから、
自分の世界に登場する他人にも
同じように厳しい視点でジャッジしていました。

子どものころから「自分にも他人にも厳しいね」と言われていたのは
こういうことだったんだと分かりました。

本当は自分にがんばったね・ありがとうと
褒めて感謝してほしかったし、
失敗してもがんばったことをまず自分に認めてほしかった。
次につなげようと思いたかった。

私はだれよりも自分自身に許されたくて、
できないなりにがんばった自分を受けいれてほしかった。

ただそれだけなのに
誤魔化して
ややこしくしていたんです。

私の内には
私にしか救えない場所がある。

だからその奥の奥まで迎えにいくよ。

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最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

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