理想の自分になれないわたし

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こちらは2022年9月8日の記事を再編集しました。

たらればなわたし

物心つく頃から常に体調不調なわたしは、「元気になったらこれをしよう」と考える癖があります。さらに化学物質過敏症になり、この癖が前にも増して出そうになります。

「元気になったら・・・」
「これができるようになったら・・・」

わたしはこの言葉に、
縋りたいのかもしれません。


本当のわたしはもっとできる。
もっとよくなる。

理想の自分を目指すことは、苦しいけれど希望があります。がんばって前に進もうとしていれば、今より輝いてるキラキラな理想の自分になれるかもしれないという希望です。

元気になればやりたいことができるようになるし、○○ができるようになればすべてがうまくいくはず。だから今はできないけれど我慢しよう。


今の自分は自分ではない。
認めない。
あくまで仮の姿。

なにもできない情けないわたしがわたしのはずはない!!キラキラなわたしが本来のわたし!と思うことで現実逃避をしていました。

そう思うことで助けられた部分があります。理想の自分に近づきたくて、どうにか成果を出そうとがんばる原動力になりました。そしてなにもできない・情けない・責任転嫁する嫌な自分から、目を背けたおかげで一時的にも自分に自信を持てました。

誤解を招く恐れがあるので補足します。わたしは自分の理想(目標)に向かって努力することが悪いことだと思っていません。

ただ
自分の理想(目標)があるとするなら、きちんと現在(イマ)の自分を見ることを一緒にやる。その方がきちんと自分自身を知る(現状把握する)ことができ、理想や目標への距離感が計りやすくなり、必要なことの判断・選択がしやすい場合があります。

「今の自分も自分」と認めることで、見えてくるものがあるような気がするのです。

もし現在の自分が選択したことが未来を創るのなら、現在のわたしは未来の最先端にいます。もし未来(現在)のわたしが過去のわたしを慰めて癒すことができるのなら、未来(現在)のわたしは過去の悲しいわたしの事情を包み込み受けいれる度量があります。

理想のわたしから見ると、
足らない部分があるかもしれません。

目指した結果、自分の理想通りではなかったら?

理想通り=成功
理想通りではない=失敗?

成功と失敗。理想と現実。
二つに一つ。

成功しても失敗しても、予想外の結果だとしても、どうなったとしてもわたしはその現象から学ぶことがある。

これは投げやりな態度で、どうなったっていいと言っているわけではありません。

どうなったとしても
受けいれて自分の経験値にする。
(すぐにできなくてもOK)

そう少しずつ思えるようになったのは、奇しくも化学物質過敏症になり、どうにもこうにも自分の思っている通りに進まなくなったから。(化学物質過敏症のおかげとも言えます)少しでもよくなろう・以前に近づけようと努力しても、ほんの少しの苦手な香りなどで体調を崩してしまいます。

思い通りにできない。
うまくいかない。
理想なんて描けない。

そんなわたしがやったことは

隠している本当の自分を見ること。

本当は何が嫌なのか?なにがしたいのか?

掘り下げてみたら
今この状況でも、したいことはできると気づきました。

わたしは何が嫌なのだろうより引用

理想の自分やこうあらねばならないというイメージは、もしかしたら本音を隠すカモフラージュかもしれません。わたしの場合は、本当にしたいことは案外小さなことでした。

掘り下げていくと、なにが出てくるのか分かりません。分からなくて怖くて、知るにはとっても勇気がいります。そこを超えると、本当にしたいことに気づけたり、理想の自分になることだけが幸せではないと受けいれることができました。

理想の自分になれない。ならなくても大丈夫。
私の場合は、そう想えたことで楽になれました。(理想の自分になることを否定していません。)

できなくなって
がんばれなくなって
気がついたこと。

それは
わたしにとって
大切な宝物🎁

※こちらの記事は、現在のわたしの感じていることです。今後変化していくと思います。変化していくわたしの想いを、その都度書いていきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

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