正解は無限大

日々の気づき

これまでの「私」の行動基準

わたしには「私」が分からなくて、ずっともやのかかった世界にいました。

疑問が湧きます。
「私は〇〇だ」となぜ言えるんだろう?と。

そこで初めて気がつきました。
もしかしてわたし以外の人には、「私」がもっとはっきりあるのかもしれないということに。

「わたし」ってなんだろう?より引用

相手から何か質問をされると、答えようとして焦ります。

あるはずの答えは形を成しておらず、もやもやしていて、なかなかつかむことができません。

そのため
自分は意見のない人間だと思いこんでいました。

考えてみると、会話している相手の意図・空気を読み期待されている自分像の中から、その状況で妥当だと思う回答をしていただけ。

「わたし」ってなんだろう?より引用

相手の期待している答えを読み取り、その期待に添うように行動すること。空気を読むことが大切だと思って生きてきました。

そして
意見がないからこそ、だれにでも合わせられる=応用力があると勘違いしていたのです。

もやもやの意味

私はどういう人間か?

分かっていたようで分からなかったことを掘り下げてみると、自分なりの言葉を見つけられるようになりました。

できるだけもやもやした気持ちを、気持ちに余裕のある時に取り出して、いろいろな角度から眺めてみました。

なんでもやもやしているんだろう?

気の遠くなる作業です。

「なにが原因でもやもやするのか」までは分かるのですが、「どう解決すればいいのか」が分かりません。

分からないものを分からないまま、そばに置く力をつけるより引用

何が原因でもやもやしているのか?
これが分かるようになっただけでも、私にとってはすごいことです。

もやもやしているということは、自分の中で引っかかるものがあること。
なぜだかしっくりこない状態。

私の場合
言語化できないけれど、見つけてほしい感情が待っている状態のように、今は感じます。

確かにそこにあるのですが、理由ははっきりしません。

すっきりせず、イライラが募るばかりでした。

我慢する人の心理(私の場合)

私は意見がないわけではありませんでした。
意見や考えがあるにも関わらず、相手と異なる意見を持つことで自分を否定されることを恐れて、我慢して「ないもの」として扱っていただけでした。

それは感情も一緒。

悲しいと感じてしまったら、それを悲しいと感じてしまう弱い自分を認めなければいけません。何事にも動じない強い自分でいたかったのです。
もう一つは悲しいと感じてしまったら、私が悲しいと感じてしまったことで、相手に非があると悪者にしてしまうのではないか?という恐れがありました。

相手を悪者にするくらいなら私が我慢すればいい。

我慢することで、相手を守っている気持ちでしたし、いいことをしている気分でした。

ですが実際は、いつも自分だけが損をしている気分でした。

頼まれてもいないのに勝手に我慢をし、それを相手から我慢をさせられていると勘違いをして、こころの中は怒りと不満でいっぱいでした。

妄想から脱出せよ

考えていく過程で、私は「正解」や「答え」を気にするようになりました。

すぐに正解や答えが欲しくなりますが、「これだ!」とピンとくる考え方や腑に落ちるまで、こうじゃないかな?あぁじゃないかな?と仮説をたてていろいろ想像をめぐらせてみたいと思います。

分からないものを分からないまま、そばに置く力をつけるより引用

※ここでは、自分にしっくりくる答えのことを、『正解』と表現しています。

ですが

自分の答えが見つかったとしても、対外的な出来事がうまくまわるようになるわけではないと気がつきました。私はどう思っているのか?を知ることができたということであり、相手との関係性がうまくいくようになったとか、物事がうまく運ぶようになったわけではありませんでした

それはなぜか?

私に気持ちがあるように、相手にも気持ちがあり、優先したいことがある。

たとえば「この言葉を聞くと悲しくなるから別の言い方をしてほしい」と相手に伝えたとします。

受けいれられなかった場合は、「頼んでいるのに協力してくれない・・・」と寂しく思うかもしれません。

しかし発した側からすると、その人の大切にしたいものがその言葉にあるから、その言葉を使いたいのかもしれません。現状把握をするために、適切な言葉を選んでいるだけかもしれません。

正解や大切にしたいことが違うと、私は自分を否定されたと勘違いしてしまいそうになります。自分の正解を押しつけたくなります。ですが、相手からすると必ずしもそうではないかもしれません。

ここで思い出したいのは、
自分の気持ちは自分が大切にしたいことであり、相手には相手の大切にしたいことがあるということ。

そして意見が異なったとしても、好きなものが違ったとしても、相手から否定されているわけではありません。その事実と自分を切り離して考えます。

(場合によっては本当に否定されているとしても、自分の解釈したい答えを採用する方が私は気持ちが落ち着くので、それを否定されていると受けとらない選択をするかもしれません。)

交渉してうまくいくこともあれば、いかないときもあります。伝えることすらできないときもあるでしょう。

どんなに自分が成長したとしても、うまくいかない・想定外なことは必ず起こります。

逃げだしたり、人のせいにしたくなる時もあります。

そうやって少しずつ休みながら多角的な視点を養っていくと、自分の妄想で感情任せに突進していたことも、広い視野から眺められるようになっていきました。

まずは自分の想いを大切にすること。次に『相手の正解も大切』と理解して、こうしてくれるはずという妄想(思いこみ)を外すこと。

これからもこれらを意識していきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

コメント

タイトルとURLをコピーしました