こちらは2022年8月27日の記事を再編集しました。
パラレルワールドみたい♪
今回も竜とそばかすの姫のネタバレがあります。ご注意ください。
この映画は奥深い。
「鈴がたくましく成長していく姿」だけを描いた作品。そう捉えていたときは、少しうすっぺらく感じる自分がいました。
よくある話だなぁ。
以上終わりにしようとしていました。
けれど、なにか引っかかります。
この作品には、余白があるように感じるのです。
手取り足取り教える(観る者を納得させる)というより、さぁどうあなたはこの余白を解釈するの?と質問されている気分です。
わたしなりに
鈴のお母さんや鈴を取り巻くまわりの人の想いに寄り添ってみると
ずっと見守ってきてくれた幼なじみのしのぶくんや亡くなった鈴のお母さんの想いや眼差しは、現在の鈴というより本来の鈴(乗り越えた先の未来の鈴)を見ているように感じます。
この想いが未来から過去(現在)へ流れている。
わたしは、鈴のお父さんが「つながったね」と言うシーンで、このことに気がついてハッとしました。
鈴のお父さんは、鈴のお母さんが亡くなったことが今とつながったねと【現在】進行形で話しますが、鈴のお母さんは亡くなる前からすでに【未来】を分かって行動しているような気がします。
これまでは”過去から未来へ”流れていくことが、当たり前の世界で生きてきました。
しかし
それだけではないのかもしれません。
未来から過去(現在)へと流れる世界線があるとするなら、鈴は鈴のお母さんにずっと大切に愛されていると思うのです。
そう想うと
じわっと温かな気持ちになれました。
捉え方が180度変化した瞬間でした。
泡宇宙モデルは「宇宙はビッグバンによって誕生した直後に指数関数的に急激に膨張した」というインフレーション宇宙論から派生したと言われている。インフレーションによって宇宙は泡のように無限に作り出され、私たちの宇宙と似た宇宙や物理定数の全く異なる宇宙など、私たちは観測することができない領域に性質の違う宇宙が存在するという考え方だ。
また、もう一つの有力なマルチバース理論として「多世界解釈(エベレット解釈)」がある。
この概念は1957年に観測物理学者のヒュー・エレベット氏が提唱したもので、マクロな私たちの現実は異なる宇宙の重ね合わせであるという考え方だ。この多世界解釈の中では、私たちが一つひとつの選択を行うたびに宇宙は分岐して異なる現実が生まれるが、自分が知覚できる現実は自分の生きている現実だけだと捉えられる。
マルチバースとは・意味|社会をもっとよくする世界のアイディアマガジンより引用
この映画をうすっぺらいと捉える自分も、この映画は温かいと捉える自分も両方います。(おそらくたくさんある中の選択肢の2つ)
そして
今のわたしは、じわっと温かい映画だと感じています。つまり「温かい映画と感じるわたし」を選択しました。
しかし今も、うすっぺらいと感じる自分が、別の世界では存在するのかもしれません。
別の世界を確認しに行く手段はありません。本当にあるのか分かりません。
ただうすっぺらいとしか感じられない自分は、鈴と一緒でだれからも愛されない自分を長い間持て余し、それを乗り越えなければいけないと意気込んで生きようとしてしまいます。
ですが
すでに大切に愛されている存在として描いていると感じる今は、乗り越えなければだれからも認めてもらえないと気負う気持ちより、過去の自分に寄り添い、未来の自分を信頼して、現在(イマ)どうしたいのかを考えたいと思えます。
そして
鈴のお母さんが知らない子どもを助けた話をすると、わたしには同じやり方はできないと感じます。同じやり方をしようとすると、確実に子どもを助けに行く前に、自分が助けられる立場になってしまいます。
鈴のお母さんと同じやり方ができない(自分の命をかけられない)のなら、目の前で困っている人がいたときに自分とは関係ないと無視する人なのでしょうか?
Bell(鈴)が竜を助けたやり方と同じでなければいけないのでしょうか?
わたしは、同じやり方はできないと踏まえたうえで、自分なりのやり方で・自分サイズに落としこんで行動することが大切だと思うのです。
それは
同じことができなくても、「すでに自分は愛されている存在」だと、自分自身で認めているからこそできること。
よく勘違いをして、だれかに愛されていることを実感したいと思いがちになります。けれど、まず自分から愛されていると受けいれてみることから始めてみたい。
自分のこころと身体は、常に自分の希望を叶えたくて必死にがんばっているのに、わたしはもっと働け!!と要求し自分を痛めつけていました。
今までがんばってくれてありがとうと伝えていきたい。同じようにできるようにがんばることしか方法が分からなかったねと慰めてみる。
もう一つの世界にいる
悲しくてうずくまっているわたしを
迎えにいくみたいに。
※こちらはわたしの捉え方・解釈になります。だれにとっても正解というわけではありません。一つの解釈として大きな目で見ていただけると幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
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