こちらは2022年8月21日の記事を再編集しました。
この記事は個人的な感想・解釈になります。その他の解釈を否定するものではありません。ご理解いただける方のみご覧ください。
映画「竜とそばかすの姫」鑑賞しました(ネタバレ含みます)
自然豊かな高知の田舎に住む17歳の女子高校生・内藤鈴(すず)は、幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。
母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずは、その死をきっかけに歌うことができなくなっていた。
曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日、親友に誘われ、全世界で50億人以上が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>に参加することに。<U>では、「As(アズ)」と呼ばれる自分の分身を作り、まったく別の人生を生きることができる。歌えないはずのすずだったが、「ベル」と名付けたAsとしては自然と歌うことができた。ベルの歌は瞬く間に話題となり、歌姫として世界中の人気者になっていく。
数億のAsが集うベルの大規模コンサートの日。突如、轟音とともにベルの前に現れたのは、「竜」と呼ばれる謎の存在だった。乱暴で傲慢な竜によりコンサートは無茶苦茶に。そんな竜が抱える大きな傷の秘密を知りたいと近づくベル。一方、竜もまた、ベルの優しい歌声に少しずつ心を開いていく。
やがて世界中で巻き起こる、竜の正体探しアンベイル。
<U>の秩序を乱すものとして、正義を名乗るAsたちは竜を執拗に追いかけ始める。<U>と現実世界の双方で誹謗中傷があふれ、竜を二つの世界から排除しようという動きが加速する中、ベルは竜を探し出しその心を救いたいと願うが――。「竜とそばかすの姫」公式サイトより引用
この作品はリアル(現実)・バーチャル(仮想世界)がいい悪いといった二元的な話にするのではなく、どちらのいいところも悪いところも同じように見せてくれます。
もしかしたら解決方法やエンディングに、納得がいかない方がいらっしゃるかもしれません。
映画の中で肯定だけをされるむなしさを語っているように、この映画は一つの解決方法を提示していますが、たくさんある解決策のひとつのように感じました。鼻から肯定だけを求めていなくて、映画を通してあなたならどうする?と聞かれている気がします。
採用するのは自分自身
主人公の鈴のお母さんは、他の子どもを助けようとして亡くなります。そのため鈴は、母は自分より名前も知らないその子を助ける方が大切だったのかと苦悩します。
竜の正体である存在も、自分だけが耐えることで問題を解決というか、その場を乗り切ろうとしています。
自分は大切にされる価値がない存在。
それが二人に共通する想いでした。
すずの想いが反転するきっかけは、〈U〉の世界で歌を認められ、まわりの人の助言、自分を大切にしてくれる人の姿を見たから。
しかし
だれの助言があったとしても、信じられるだれかがいたとしても、実際に変われるかどうかは分かりません。そのことばをきちんと受けいれられるのかは分かりません。自分がそのことばを信じると採用しなければ、そのことばは存在しないものになります。
一番重要なことは、だれがなにを言ったからではなく、リスクを恐れず自分が決めること。
もし自分が逆に相手になにかを伝えるとき、自分は自分のことを信じていないし、なにも行動していないのに「大丈夫だよ」と言っても、相手は信頼しないし届かない可能性があります。(自分を信じて発したことばだとしても届かない場合もありますが・・・)
リスクをとると、だれかから嫌われてしまう(善意の忠告も含む)かもしれません。
その怖さを受けいれて、それでも相手に伝えたい気持ちを示すには、自分はありのままで大切にされる価値があると自分で認められるかどうか。
完璧ではない自分。
その今の自分ができることをする。
わたしはわたしが大切だよ。
だからわたしはあなたも同じように大切だよ。
根底にある想いとは・・・
鈴のお母さんは、目の前にいるこの子を助けたい一心で動きます。
それだけではなく根底には、鈴に目の前で困っている・助けを求めている人たちがいたときに、自分とは関係ないと無視するような人になってほしくない。困っている人がいたら手を差し伸べる人になってほしいという気持ちがあるような気がします。
鈴のお母さんはリスクを承知で自分がやると決めます。
言い換えると
未来の鈴が、困っている人がいたら手を差し伸べる人になると確信しているからこそ、鈴のお母さんはあのとき名前も知らない子どもを助けたと思えてきます。
鈴が大切だからこそ、鈴を信じているからこそ、鈴のお母さんは知らない子どもを助けることを選んだではないでしょうか?
あなたは大丈夫。信じてる。
あとは任せたよ。
過去から未来(現在)へ
未来から過去(現在)へ
すべての想いがつながっていく🌈
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
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