わたしの欠片をもつ人たちから教わったこと

過去の記事

こちらは2022年8月8日の記事を再編集しました。

暑い日が続いています。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

わたしは7月末から夏バテしております。

その中でわたしと共鳴するところがあった漫画をご紹介したいと思います。
※なお、これはわたしの考えに基づく解釈であり、正しいものではありません。作品を否定するものでもありません。現在わたしが感じる共鳴部分を、未来のわたしに向けて書いています。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

鬼滅の刃 吾峠呼世晴著16巻
言わずも知れた鬼滅の刃です。
知らない方もいらっしゃるとは思いますが、わたしが語るより分かりやすく、至るところで紹介されていますので省きたいと思います。

16巻を読み返していると、なにやらアピールしている箇所があります。

お館様と無惨が初めて出会うシーン。
静かで緊迫した雰囲気。
お互いの核心をつくやりとり。

その中でお館様が無惨へ

大切な人の命を
理不尽に奪った者を
許さないという
想いは永遠だ

出典:鬼滅の刃16巻

と伝えています。

お館様も無惨もわたし自身。
この視点で考えてみると

無惨はわたしたちが抱えている弱さ(闇)を代表で演じている。お館様はわたしたちの中にある正義(光)を演じていると仮定したとき、

わたしの中にある正義のこころは、わたしの中にある弱さに対して、”絶対に許さない”と追い詰めているように感じました。

自分には弱さ(闇)はなく、あるのは正義(光)だけ。とするのなら、不安・悲しみ・恐れ・弱さなどが原因でしでかしてしまった過ちは、悪のそのものとしか映りません。

そして過ちを顧みず、償おうとしない者には罰を与えて当たり前。それも一つの考え方だと思います。

ですが
お館様(正義)も無惨(悪)もわたしの中にいると思うと、

絶対に許さないと自分の弱さを追い詰め、どれだけその弱さをなくそうと斬り捨ててきたのだろうと胸の震える想いがします。

弱いからこそ自分の弱さを認められなかった。
弱いからこそ力でねじ伏せようとした。
弱いからこそ他人をコントロールしようとした。

自分自身から怒られる→不安・恐怖・寂しい→他人にせいにする→怒り

怒りの奥にあったものより引用

いつまで続くのでしょうか・・

そして
この状態が外側の現象として現れると、「対立」「争い」になる可能性があります。

だれかにとって都合のいいことは、
だれかにとって都合の悪いこと。

だれかの正義はだれかの悪。

だれかの弱さは自分にもある弱さ。

無惨のように分かりやすい悪の親玉が自分自身と言われると、「わたしはそんなにひどくない!!」と怒りたくなります。

けれど
無惨も無惨の永遠を夢見て、叶えようとしているただの人

お館様の言う

永遠というのは人の想いだ
人の想いこそが永遠であり
不滅なんだよ

出典:鬼滅の刃16巻

無惨のように自分の命という目に見えるものに永遠をみるのか、お館様のように人の想いという目に見えないものに永遠をみるのか

そして
その「想い」はどういう想いなのか。

許さないと怨念として使うのか。
みんなの幸せを願う祈りとして使うのか。

わたしたちの前には
無数の道が用意されています。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝と祈りをこめて。

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