人生はわたしなりの愛し方を探すクエスト

過去の記事

こちらは2022年7月27日の記事を再編集しました。

ずっと競争の世界で生きてきた

目に見えない不確かなものが信じられず、目に見える確かなものだけを信じたくて、長い間不確かなものから目を背けて生きてきました。
だれが見ても分かりやすく、公平な判断ができることが最優先。たとえ文句を言われても、証拠を出して反論する(自分を正当化する)ことができるからです。

そのために、成果や結果に固執しました。地位や名誉や権力にこだわっていました。

まわりから見ると、今までのわたしは成果や結果に頓着しない人に見えるかもしれません。逆にそういうものを痛み嫌っているかのように見えるかもしれません。

それは成果がでない・失敗したときに恥ずかしいから言わないだけ。平気なふりをして、「こだわっていませんよ~」という態度をしていただけ。結果が出せなくて悲しい😔のに、平気なふりをして自分を誤魔化してきました。

きっとこころの中では、だれよりもこだわっていました。

本当のわたしは否定されることが不安です。怖いです。だからこそ、だれかを見下し見下されて、勝った・負けたと優劣をつけたがる人でした。

自分よりかわいそうな人がいる。自分より成果や結果を出せていない人がいる。そう思うことで安心感を得たかったのです。

守りたいから従わせる?

私はよく母から
「理不尽なことは社会に出たらいっぱい経験するのだからそれくらい我慢しなさい」と言う言葉を聞いて育ちました。

すべての感情にOK!を出すより引用

そして父は大きな声で、時には威圧的に、従わせようとする人(のようにわたしは感じていました)。特に父が若い時は迫力があり、それはそれは恐ろしくて何も言えませんでした。わたしの中では、父=横暴というイメージがあり、なにも分かってくれないとすねていました。

父はもう亡くなってしまいましたが、あるとき気づきました。

強くて迫力のある(と思いこんでいた)父から、垣間見える繊細さを。。
父もわたしと一緒で、自分を否定されることがとても怖い人。弱いから傷つけられないように自分を守ろうと、他者を従わせようとしてしまうところがあるように感じました。

身近な人にそうしてしまいがちなのは、自分の意見が正しい」が前提にあり、その意見に沿うことが守りたいものを守れると信じていたように思います。

ずっと従わされている・押しつけられていると感じてしまい、わたしは父から愛されていないと思っていましたが、それは勘違いだったのかもしれません。

本当は愛されているわたし

わたしは母から、世間はそんなものだから我慢しろと教えられたことをずっと恨んできました。不快な気持ちは出してはいけない。すべて自分が我慢すればまるく収まる。わたしは自分の意見を言ってはいけないと思っていたからです。母からそこまで言われたわけではないのですが、わたしはこういう風に受けとっていました。

考えてみると
自分だけが我慢することを強要されたように思いこんできましたが、きっと母も同じようにこれが最善の方法だと教わってきたからこそ、わたしに我慢しなさいと教えてくれたのです。

自分の人生で学習してきた中で、母が一番よいと思う解決策を伝えてくれていただけ。一番よい解決策を教えて、わたしを守ろうとしてくれただけなんだと気がつきました。

わたしは、父からも母からも愛されていました。
それはわたしの望むカタチではなかったから、分かりにくく感じとれませんでした。

わたしは自分の思い通りに愛されたい気持ちが強く、その他の愛され方に目を向けることが苦手です。自分の思い通りでなければ、すぐに相手をひどい!!と思いこみ、自分を被害者にしがちです。

そうではなく
もしかしたらこういうことかもしれないと、自分の思い通りではないけれど、相手を理解しようと努力したいときはしてみようと思います。いつもは難しいですが、できるときに無理をせずにやってみます。


わたしは
愛し方と愛され方を学ぶ
クエストの途中なのだから。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

コメント

タイトルとURLをコピーしました