こちらは2022年7月2日の記事を再編集しました。
分からないことはダメなこと?
共通だと思いこんでいた土台が、一人ひとり異なる
こころの声に耳を傾けてより引用
と知り、わたしは「なにが正解か」どんどん分からなくなりました。
共通の土台がある場合、自分の特徴や感情・想いなどを、あまり掘り下げなくても相手に通じます。なぜかというと、共通の土台を起点にして、ある程度答えを出すことができるから。
では
その共通の土台がない場合はどうでしょうか?
共通の土台がないということは、これまで“当たり前・普通”で通用していたことが通用しなくなるということ。
例えばこの前
弟に「お母さんの調子が悪そうだよ」と伝えると
なにも反応がなかったので、聞こえなかったのだろうと思い、もう一度声を掛けました。
すると
「それで?」「自分は察しが悪いから、状況だけ言われても分からない。何がしてほしいのかを言ってくれないと分からない。」と教えてくれました。
わたしは「それで?」だけを言われていたら、母の調子が悪いのに興味がないなんてひどい!!と怒っていたと思います。
そのあとの言葉から考えてみると
弟は察しが悪いという自分を知っており、状況を聞いただけでは自分が何をしたらいいのか分からない。なので自分にしてほしいことがあるなら、そのしてほしいことまで伝えてほしいと教えてくれたのです。
「ふ〜ん」「そうなんだ。」
「なにが言いたいの?」
「言いたいことが分からない。」
と言うこともできたはず。
たぶん弟は相手の言いたいことが分からない状況に何度も接してきて、そのときに「なにが言いたいの?」「言いたいことが分からない。」と言うと、なぜか相手が怒り出すという現象にもたくさん出合ってきたのだと思います。
自分は察しが悪い
↑最初に自分の特徴を伝える
どうしてほしいのか教えてほしい
↑次に相手に自分の要望を伝える
そのうえで
自分のできること・したいことを選んでいく。
↑決断して行動に移す
察しがいい人は
その人なりに相手のしてほしいことを考えて行動することができるかもしれません。
しかし
察することが苦手な人もいます。
察しがいい人にとって当たり前にできることは、察しの悪い人にとっては当たり前ではないかもしれません。わたしは弟が察してくれないと、「おかしい」とか「ひどい!」と決めつけていましたが、ただ特性が違うだけなのかもしれません。
分かったふりをしてその場しのぎの対応をしたり、なにが言いたいのか伝えられない相手のせいにする方が誤解を生みます。
自分は分からないから、具体的にしてほしいことを伝えてほしい。
これは分からないことを把握しているからこそ伝えられること。伝えることで自分にも相手にも、新しく共通認識が生まれ、方法を考えることができるようになると思うのです。
どちらも
自分の当たり前を押しつけ合わずに
自分を表現すること。
わたしは分からないことが増えていったとき、自分はなんてダメな人間なんだろうと落ちこみました。分からないとなにも決められません。前に進むことができずにいる状況が、とてもネガティブなことに感じました。
ですが考えてみると
わたしが分からなくなったものは、みんなが共通だと思ってきたもの。当たり前だと思いこんでいたことでした。
同じでないとしたら、なにを基準にしていくか
だれかとの比較ではなく、当たり前だと素通りしてきたものを、もう一度掘り下げてみる。
自分にはどういう特徴があるのか。
自分は今、どんな感情を感じているのか。
自分は何をしたいのか。してほしいのか。
弟のように、まず自分を把握すること。
自分はどういう人間かを知り、自分を基準に生きてみる。
「相手・まわりはどうでもいい」というわけではありません。
本当の自分を知ったうえで、相手に素直に伝えることは、相手と共通認識を築くこと(分かりあうこと)。
どちらかが我慢をする。分かる側が分からない側に、自分の意見を押しつける。これをすると、押しつけられた・我慢をした側に不平不満がたまってしまいます。
一人ひとりが違うことを理解したうえで、お互いが伝えあうことで誤解を少なくする努力をすること。分からないなら分かるように教えてほしいと伝えるように。
すべて相手に伝える必要はありません。相手と分かりあいたいことを伝えてみる。伝えた結果、拒否されることもあると思います。相手は自分と違った感性の持ち主のため、伝えたことを受けいれたくないときがあるかもしれません。(辛いですが・・)
それを踏まえたうえで
共通のものがないからこそ、共通のものを築いていきたい。
そう思うのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
コメント