どちらも大丈夫

過去の記事

こちらは2022年6月16日の記事を再編集しました。

わたしはこの時、食や環境などに興味を持って地球に優しい生活をしたいと取り組んでいる友だちを見て、「こだわりすぎじゃない?まわりにいる人が辛くならないのかな?」とこころの奥では思っていました。自分の否定的な思いこみで正しいわけではないのですが、その思いこみが今の”申し訳ない”気持ちにつながっている気がします。

申し訳ないの胸の内より引用

この記事では、まわりの人に迷惑をかけているのではないかという不安な気持ちを書きました。改めて考えてみると、「あれもダメ。これもダメ。」と言われて悲しく感じているのは、自分自身のように思います。

仕事、友だち・恋人・家族との時間、趣味などの余暇の充実など、みなさんが忙しい毎日を送っていることと思います。

その中で安くて早くて便利なものを大量消費して、家事などの負担(労働)を減らし、いかに日常を”楽しむ”かを追求してきた時代がありました。

だれだって楽をして、
空いた時間を自分の好きなように使いたい。

そういった要望を叶えるため、
便利な世の中を実現するために、
化学物質は有効な手段でした。

しかし、化学物質が合わない人たちや使うことを良しとしない人たちから見ると、使っている人は「なんて自分本位なんだろう?」とか「悪い人たちだ」と思うかもしれません。

わたしも体調が悪い時は、そう思いがちになります。ですが、考えてみるとわたしも便利だから使ってきたのです。そして、現に今も使っています。

化学物質過敏症のくせに化学物質を使っているとはどういうこと?と思われるかもしれません。化学物質過敏症は人によって苦手な物質(過敏に反応する物質)が異なり、身体的・精神的症状が異なるため、なかなか一括りにできない症状です。わたしが避けなければならない物質が、なんともない過敏症の方もいらっしゃいます。逆にわたしが平気な物質で、体調を崩される方もいらっしゃいます。

わたしの場合、農薬・消毒・添加物・洗剤・柔軟剤・化粧品などには過敏に反応しますが、プラスチック製品や新聞や本のインク・梱包材などにはあまり反応しません。

反応しないということは使っても支障がないということ。支障がないため、苦手な人も気持ちも考えずに、ついつい使ってしまいます。

だから気をつけずに使っている人の気持ちも分かり、「あれもダメ。これもダメ。」と言われると悲しくなってしまうのです。100%理想通りにできないといけないと言われているようで、(過去・現在の)わたしを否定しないで~😥と感じてしまいます。(弱くてごめんなさい)

こうも捉えられるかもしれません。「これは良くない。こっちがいい。」とはっきり伝えることは今まで気づかなかった人たちが気づくきっかけを作るということ。はっきりした基準がある方たちは、その基準からはずれた人たちを否定しているわけではなく、ただこういう考え方もあるよと教えてくれているだけなのかもしれません。これは先頭に立ってみんなを引っ張っていく人たちには必要な性質ともいえます。

わたしの場合は、それを自分が否定されたと捉えてしまったり、「こっちにもいいところがあるよね」と別の可能性を見つけようとする性質があるため、引っ張っていく人・言い切る人たちとはあまり分かり合えませんでした。

きっと
表現の仕方が違うだけで、
同じように
みんなが暮らしやすく
輝ける世界にしたいだけなのに。

表現方法などが異なると、否定されたと落ちこんだり、反発したくなります。

もしかしたら少し距離を置いて接した方が、お互いの気持ちを尊重しあい、気持ちよく交流できるかもしれません。わたしが伝えられないことを伝えるために、わたしの世界が異なるアプローチの方を用意しているだけかもしれません。

どちらも大丈夫。

そう
こころから言える自分で在りたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

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