こちらは2022年5月15日の記事を再編集しました。
「DESTINY 鎌倉ものがたり」の感想
STORY
映画.com「DESTINY鎌倉ものがたり」より引用
幽霊や魔物、妖怪といった「人ならざるもの」が日常的に姿を現す古都・鎌倉。この地に居を構えるミステリー作家・一色正和のもとに嫁いできた亜紀子は、妖怪や幽霊が人と仲良く暮らす鎌倉の街に最初は驚くが、次第に溶け込んでいく。正和は本業の執筆に加え、魔物や幽霊が関わる難事件の捜査で警察に協力することもあり、日々はにぎやかに過ぎていった。しかし、そんなある日、亜紀子が不測の事態に巻き込まれ、黄泉の国へと旅立ってしまう。正和は亜紀子を取り戻すため、黄泉の国へ行くことを決意するが……。
この映画の原作は西岸良平著のコミックス。
それなのに観終わったとき、
わたしの脳裏にうかんだのは
水木しげるさんでした。
しげる少年とのんのんばあの世界観を、
もっとホップで軽やかに
現代でも親しみやすく
表現されているように感じました。
遠い昔…そこに夢の楽園があった―――。 「美和」が売られて行く夜、亡くなった美和のお母さんが美しい火の玉になっておくり出した…。目に見えなくとも何かいる…。著者の原体験を描く感動の少年時代。
のんのんばあとオレより引用
目に見えなくても何かいる。
それを飛び越えて、この映画に出てくる鎌倉では、通常目に見えないはずの魔物や幽霊、妖怪や仏様、死神たちが見え仲よく暮らしています。
嫁いできた亜紀子さんは初めは驚くばかりですが、次第に慣れるとだれよりもフラットな目線で彼らと交流します。
目に見えないからいないはず。
分からないから怖い。
貧乏神だからどこかよそへ行ってほしい。
これって全部、見えない人間側の価値観なのかもしれません。
ラストまで観ると貧乏神も立派な神様だと分かります。その事象に生きている人間の損得勘定・エゴなどのジャッジが入るだけなんだと身につまされました。
そして
生きている人間と魔物や幽霊(亡くなった人)は、まったく違うものだと思っていましたが、この映画を観るとそんなに違わないのかもしれないと思うようになりました。
少し前から見頃のアヤメを見るたびに
祖母が見守ってくれるような
近くで見てくれているような
あたたかい気持ちになります。
母は
同じ景色を見て「草がいっぱい生えていて息がしにくかったでしょ」と言いながら草を刈っていました。
子育てと似ているのかもしれません。
普段お世話をしている人と赤ちゃんの間では、言葉をかわさなくても赤ちゃんが何を欲しているか分かるように、
植物たちもお世話してくれる人たちに語りかけているような
そして
祖母もアヤメと一緒に見守り、語りかけてくれているような気がします。
目に見えないものを見る力は特別な人にしかないように思いがちですが、目に見えなくても聞こえなくても、それを受けとる力がきっとわたしたちの中にあります。
目に見えないものを「そんなのあるわけないじゃん」で片づけるのか、「そういうこともあるかもね」と受けいれるのか。
ただそれだけの違いかもしれません。
目に見えなくても
姿が違っても
伝わる想いはきっとある。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
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