こちらは2022年2月24日の記事を再編集しました。
「あとはいいことしか起きないよ」
わたしは
嫌なことや辛いことが続く人を見ると、
そうあればいいなという期待をこめて
この言葉をかけてきました。
もちろん
わたし自身も
この言葉に支えられ
こんなにつらいことが続くのなら、
次起こることはいいことばかりのはず!!
あともう少し辛抱してみよう。
もうちょっと踏ん張りたい時に、
自分を奮い立たせていました。
けれど最近、
この言葉に違和感を覚えるようになったのです。
「あとはいいことしか起きないよ」
と自分が相手に言った後も
相手から自分が言われた後も
いいことばかり起きているわけじゃない
と気がついたから。
抱えている問題が解決して、
一時的に
自分の都合のよい状態=いいこと
になることはあります。
これでいいことしか起きないぞとワクワクしていると、
あれ?
なんでこんなところに
落とし穴があるの?
障害物があるの?
みたいなことが何度も起きるのです。
そう。
我慢して踏ん張って
クリアしたと思っても、
なぜか次の課題が待ち受けていて
わたしを悩ませます。
たぶん
自分に都合の悪いことや課題は
死ぬまでなくならない。
もしかしたら
その課題を持ち越すのなら、
死んでからも
ずっと続くのかもしれない。
「あとはいいことしか起きないよ」
この言葉に縋りたかったのは
いいことしか起こってほしくない。
自分に都合のいいことしか受けとりたくない。
自分のワクワクだけを求めたい
地に足がつかない
ふわふわなわたしの現れでした。
自分に都合のいいことだけ起きて、
自分だけがワクワクして
楽しい気分を味わうのも
それはそれで楽しい。
ただそうすると
わたしのように自分が受けいれたいものだけを受けいれようとして、自分にとってのいいことが起こることを期待して生きる生き方になりかねません。
もし
都合の悪いことが起きたとしても「必要だから起きている」と受けいれることができたなら、
その課題解決の過程が
解決策が
それを体験した気持ちが
自分を含めた
だれかの力になるかもしれない。
これは
自分にとって都合のいいことや
ワクワクすることを
否定していません。
ここちいいことやワクワクした気持ちは、「自分がどうしたいのか」を判断するときのこころのアンテナです。
自分にとって都合のいいことも都合の悪いことも、どちらも必要だから起きている。
本当はその背景になにがあるのか、何を伝えたいのかを感じること(キャッチする)をだけなのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
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