こちらは2022年1月21日の記事を再編集しました。
被害者意識と加害者意識
1月に入って
なんでこんなことが起こるんだろう?
自分にとって嫌なことが
続けざまに起こりました。
大きな出来事ではありません。
今思えば
いつもなら気にしないような小さなこと。
それなのに
そのときはとても気になって、
なにか悪いことをしたのだろうか?と
自分の行いを振り返ったり、
反対にわたしは悪くないのに
ひどいことをされていると被害者ぶって、
こころがひどく揺れていました。
腹を立てる自分(被害者)と
悪いことをしてしまったと思い悩む自分(加害者)。
ふたつを行ったり来たりしていたら、
なんのことはない
両方わたしだったと気がつきました。
ひどいことをされていると思ったことは
いつかのわたしがしてきたこと。
ひどいことをされているのも
ひどいことをしているのも
わたしだったのです。
そういえば
わたしも同じことをしていた
と思い出して、
自分だけ被害者ぶっていたことが
途端に恥ずかしくなります。
わたしがしてきたことの可能性を
(すべて同じではないにしろ)
目の前の相手を通して
見せられているのだとしたら、
今わたしがすることは
ひどかった自分を受けいれること。
たしかに
わたしは悪くないと
おいしいところだけをつまみたい。
けれど
甘いだけでは味に深みがなく、
ただただ甘いだけ。
すぐに飽きてしまいます。
だから
引き立たせるものやコクが必要で、
甘みも苦味も渋みもコクも旨味も
全部ひっくるめて食べてこそ、
さまざまな味が調和し
本当のおいしさに出合えるような気がします。
おいしそうなところをつまみ食いするより、
苦味も一緒に味わってみる。
同じように
ひどいことをしているわたしを
と受けいれてみる。
わたしたちは
物事を自分の都合のいいように見ていて、
ものごとをどの角度から見るかによって
見方が異なることを忘れがちです。
だれかにとっては「悪」かもしれない自分。
だれかにとっては「善」かもしれない自分。
どちらもあり得るのが本当のわたし。
自分は正しいと言いたくなります。
(わたしだけかもしれませんが😅)
ですが
ひどいことをするわたしもわたし。
悪も善も自分の一部分。
受けいれたくなくて
逃げてしまうこともあります。
それでもいい。
少しずつ少しずつ
受けいれたくない自分を
腹をくくって受けいれていきたい。
そう思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
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