こちらは2021年12月25日の記事を再編集しました。
うらやましいとはどういうこと?
化学物質過敏症になって、知り合いに話すとたいてい「大変だね」と言われます。わたしもそれに慣れっこになってきて、そう言われるであろうという前提で会話する自分がいます。
友だちはただ心配してくれているだけなのだと頭では分かっていますが、大変だねと自分(友だち自身)とわたしを別の世界の人(すべてにおいて弱い存在で助けなければいけない劣っている存在)と線引きして同情されたくないと考えてしまいます。
わたしもあなたを尊敬するよより引用
友だちのおかげで
この同情されたくない・よく見られたい自分に気がつくことができました。そして当たり前の日常に感謝するきっかけにもなりました。
また過敏症と分かった初期のころに、仲のいい友だちから「自分に合ったものが分かっていいね✨」と言われたことがあります。そのときはあまり本気にしていなくて(ごめんなさい🙇)、励ましてくれているんだろうなとだけ思っていました。
今度は知り合って間もない方に「自分は注意して取り込みたくないものを避けているけれど、食事に誘われたらそうは言っても食べざる負えない状況になってしまう。過敏症だと食べられないからすごくうらやましい。」と言われたことがありました。
聞いたときは「え、何を言っているんだろう?」と意味がよく分かりませんでした。わたしはとても困っていると話をしたはずなのに、すごくうらやましいとはどうことなんだ??😟これは励ましてくれていると受けとっていいのだろうか・・・
差があるからこそ知ることができる
化学調味料などに気をつけて生活したいけれど、食べたからといって体調が悪くなるわけではない。おいしく食べることができる。食事に誘ってくれる人は好意で誘ってくれているから断りづらいと思っている人がいる。
そんなとき過敏症のわたしの話を聞くと、自分のしたいライフスタイルを実践している人がいると感じるのかもしれません。(わたしの場合は強制的にそうなっただけで、こうしたいと強い気持ちがあって選んだわけではないのだけれど・・)だとしたら「大変だね」と同情するのではなく、本気でそれを「いいなぁ、うらやましい」と思う人もいるのかもしれません。
いろいろなものが食べられなくて大変・悲しい←どうしてもここに意識が向きがちになりますが、
ある一部の人たちからみると
人工的・化学的に作られたものが分かって避けられていいね・うらやましい←逆転してうらやましい才能になるようです。
わたしはいろいろ食べられないものがあります。柔軟剤などの香りをかいだだけで体調不良になるときがあります。機械音痴で人混みが苦手です。音にも敏感です。などなど挙げればきりがないほど「できない」のオンパレードな人間だと自分で思っています。
けれど
わたしができなくて大変だと認識していることは、だれかにとっては「うらやましい」ものである可能性があると知りました。
ということは
飛びぬけてすごい能力の持ち主たちだけが、置いてけぼりな人たちを作り出し、高低差を創っているわけではなく、だれもが高低差・違い=個性を創っています。
多種多様な人がいて
違いがあって差があるのは
いがみ合いたいわけではなく、
お互いを知るために
自分自身を知るためにあるのかもしれません。
光と闇は同じもの。闇のままで終わらせるのか。闇の中にある光に気づくのか。
ただそれだけ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
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