こちらは2021年12月12日の記事を再編集しました。
久しぶりの連絡
久しぶりに学生のころの友だちから連絡がきました。SNSでたまたま、わたしの住んでいる近くのお店が出てきたそうです。検索もしていないのになんでだろう?と偶然に驚きながら。
送られてきたメッセージを見ていると、詳しく近況が書かれているわけではありませんでしたが、なんだか元気そうな様子が伝わってきて、わたしもうれしい気持ちになりました。
偶然は必然だったのかもね。
わたしの近況
わたしはその友だちに、
恐る恐る自分の状況を伝えてみました。
学生時代はそれなりに過ごせていたので、そのときの自分を知っている友だちに弱みを見せたくない気持ちがありました。
友だちはただ心配してくれているだけなのだと頭では分かっていますが、大変だねと自分(友だち自身)とわたしを別の世界の人(すべてにおいて弱い存在で助けなければいけない劣っている存在)と線引きして同情されたくないと考えてしまいます。
化学物質過敏症は
見える物に付着している場合もありますが、目に見えない物質(農薬・洗剤・消毒など)で症状がでます。
分からない、面倒くさいと家族によく言われます。
そりゃそうだ。わたしもこうならなかったら「どういうこと?」と思っていると思います。
友だちにも理解されないかもしれない。
いや、理解されないことは仕方がない。
ただ同情されたくないと強く思いました。
だから
「わたしは化学物質過敏症になってこんなに大変で悲しい😥」より、
「わたしは化学物質過敏症になったおかげで、安心して空気を吸える尊さが分かって、この過敏症に感謝してるよ」と伝えてみました。
わたしが自分自身を可哀そうで大変な人だと思いながら話したら、友だちもそう受けとってしまうはず。だからわたしから先に「わたしは化学物質過敏症になったおかげの世界」から伝えてみようと思ったのです。
今までなにも考えずに受けとってきたことは、本当は当たり前ではなかったと気づくきっかけをもらえて、この経験自体に感謝だなと思います。(落ちこむこともいっぱいありますが・・・)
当たり前の日常に感謝する
これまでわたしは
いろいろな病気や病名がつかないような不調を経験してきました。
自分に合わないことをすると、途端に理解力が低下するわたし。ストレス耐性が低く、すぐに病気として体に反応がでてしまうわたし。
その過程で病気や不調は、自分に合っていないことをしてるよ!ちょっと休んでみたら?というサインなんだということに気がつきました。
これまではその時点で休んだり、お医者さんの言うとおりにしていれば良くなるだろうと考えていました。
つまりこの不調は、自分以外のだれかや時間が解決してくれるもの。自分ごととして考えていなかったし、当たり前の日常に感謝することは頭にありませんでした。
気づかせてくれたあなたを尊敬するよ
化学物質過敏症は
さっきまでなんともなくても、すれ違った人の柔軟剤の香りなどで体調が優れなくなることがあります。
— 香料入りの洗濯用合成洗剤や柔軟剤の成分にもプラスチックが使用されているとか。
芳香剤入りの洗濯用の合成洗剤・柔軟剤、それには香りの成分を小さなプラスチック製のカプセル、マイクロカプセルに入れたものが配合されてます。そのカプセルが衣服につき、ゆっくりはじけていきながら、香りが持続する仕組みです。海外漂着ゴミの法律が改正され、マイクロプラスチックを含む製品の製造や販売は控えることが条文化されています。しかし、千葉工業大学の研究グループが確認したところ、昨年2019年の時点でマイクロプラスチック製のマイクロカプセル入り合成洗剤が販売されていました。明らかに法律違反だということで、消費者連盟さんなどにも情報提供して働きかけているところです。
シャボン玉せっけんホームページより引用
自分自身で気をつけていても
どうしようもない時があります。
人のせいにしたくなることもあります。
そのとき、家族にこう言われました。
「こういう洗剤を使っている人が悪いわけではない。みんなが使っているし、必要だから当たり前に使っているだけ。」
確かに。わたしもこうなるまで香りで具合が悪くなる人がいることに関心が及ばなかったし、マイクロプラスチックってなに?という感じでした。
わたしの当たり前は当たり前ではない。(過敏症は増えてきてるといってもまだまだ理解されにくく少数派ということを理解する)
その商品を使っている人には、使っている人の当たり前がある。
ただ苦手な人もいることを
少しでいいので知ってもらえると
うれしいなと思うのです。
わたしもそういう商品を使ってきた(恩恵を受けてきた)ことに感謝して、そのうえで今のわたしはどう選択したいのか考えていきたいと思います。
知らなかったことを知るきっかけをもらえたことに感謝して、
当たり前の日常が当たり前ではなかったことを知れたことに感謝する。
そうした姿勢でわたしの近況を伝えてみたら
「すごいね。尊敬する✨✨」と友だちから返信がきました。
まだまだ落ちこむことも多いし、ただただ目の前のことをがむしゃらに生きているだけのわたしを「尊敬する」と言ってくれる人がいることに驚きました。
尊敬できる人とは
博識だったり特殊な技術があったり、みんなを引っ張っていく力があったり、いろんなことができて「すごい!!」と感じる人に使うものだと思ってきました。
もしかしたらそれだけではないのかもしれません。
いろんなことができて「すごい」と言われる人だけではなく、いろんなことができなくていろんな人に助けてもらいながら生きること、当たり前と言われて見過ごしそうなことを気づくことに対して、尊敬すると言ってくれる人がいるのかもしれません。
他の人が嫌な出来事と捉えそうなことに、こういう見方もあるかもよ?と伝えることができるかもしれません。
きっと
自分にとって都合の悪い経験は
資産となり説得力となる。
あなた(わたし)を尊敬するよと教えてくれたあなたも尊敬するよ。
いつもありがとう🌈
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
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