自分からズレていたことに気がついた

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こちらは2021年11月26日の記事を再編集しました。

違和感は大切なサイン!

最近、なんだか自分がしっくりこない。
もやもやしてるようで変な感じ😕

何か特別なことがあったっけ?
気になることがあったっけ?

そういえば、
もうすぐ久しぶりに親戚と会う予定があったんだ
と思い出しました。

思い出したと言っても、
気がつくとずっとそのことばかり考えていたのだから
忘れていたわけではなく覚えていたのだけど・・・

もやもや違和感を感じるほど、
そのことを考えているとは
思ってもいませんでした。

今のわたしは仕事をしていません。なかなか外出もできません。それはきっと、親戚にとって受けいれられないことだろうと感じました。受けいれられないことというか、優しい人たちなのでとても心配されるであろうと予想がつきます。

どうすれば彼らにとって「普通の人」に見えるだろうか?

  • 親戚に今の状況をどう言い訳をしようか。
  • どうしたら理解してもらえるだろうか。など

 こんなことばかり考えていました。

つまり今のわたしは世間から見ると、
到底理解されないダメな人間だと自分自身で思っていました。

これまでは親戚が望んでいるであろう人間と想像して、
合わせよう・あてはまるように生きようとしてきました。

それが当たり前で疑いもしませんでした。

それができなくなった今、
どう言い訳をすれば
許してもらえるのだろう?

そればかりが
わたしの頭をよぎります。

他人の理想を生きようとがんばってきたんだなぁ。

それって本当に自分の生きたい生き方なのかな?

わたしがしっくりこないと感じたのは、
こうあってほしい自分を生きられなくなったのに、
それをやろうとして違和感がでてきたのです。

自分のここちいい状態を
少しずつ分かるようになったから、
なんだかしっくりこないと
違和感に気づき出したのだと思います。

今までのわたしなら見過ごしたり、
我慢して他人の理想を生きようとしてきましたが、
きちんと違和感に気づけたことで
少しずつ成長しているなぁ✨と実感しています。

ダメだと思われていたとしてもまぁいいか!

相手の価値観の中で
わたしを見ると心配でダメな人間だと感じたのなら、
わたし自身が
自分をダメで心配しなければいけない
と考えているから。

相手を通した自分を見ているだけ。
自分をダメだと思ってきたわたしを見せられているだけ。

そんな気がします。

みんなができることができないと、
ダメだと思って悲しかった自分がいる。
がんばるしかやり方を知らなくて、
ダメと思われたくなくて、
がんばってきたわたしがいる。

ここに気づけたのでこれからは
多数派から見たらそう見える(心配)かもしれないけれど、
わたしはわたしをここちよくしているだけなので
安心してください😊と在り方もできるかもしれません。

わたしは「わたしはダメだという想いを選択しません」

ダメなわたしと思われても、
世間の普通とされるものからはみ出てもいい。

他人の理想を生きることより大切なことがある。

それは自分がどう在りたいか(という想い)を具現化すること

ここちよさ(想い)を押しつけあうのではなく、
わたしの内で相手を通して映し出された自分をヒントに、
その現象をどう受けいれ選択するのか決断します。

そして
本人にしか責任をとることができない領域があります。

アドバイスをくださる方もいますが、
最後は自分で決めるしかありません。


わたしにはわたしの
相手には相手のここちよさ(想い)があります。

それは同じではないかもしれません。

適度な距離を保って尊重しあう方が
ちょうどいいときがあるかもしれません。


お互いの(想いの)責任を
お互いが果たしていく戦友にように。

Photo by @nixcreative on unsplash

 
最後までお読みいただきありがとうございました。

愛と感謝をこめて。

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