こちらは2021年8月20日の記事を再編集しました。
だれかの光を借りて誤魔化していた
いろんな人との出会いがあったり、
いつもチャンスが舞い込んできたり、
夢や目標にむかってがんばっている人を見ると、
キラキラ輝いてうらやましく思っていました。
その人たちと友だちになれたら
私も同じように輝ける気がして
友だちになろうとがんばったことがあります。
それをやってみて気がついたことは、
輝いている人(光)の近くにいても
自分が輝けるかは別問題であるということ。
むしろ自分がしっかりしていないと、
その強い光に圧倒されてしまう可能性が高く、
強い効力があるものは諸刃の剣でした。
圧倒されて
どうせ○○さん(光)のようにできない。
○○さんはすごい人だから私には無理。
できない言い訳に使ったり、
○○さんについていけば大丈夫・
○○さんのそばにいれば大丈夫
と信頼して追いかけていました。
だれかの光を借りていただけなのに、
自分の力で光っていると勘違いしていました。
なにもしていないのに
自分はできると大きな気持ちになったり、
逆に自分には力がないと決めつけて、
考えること・行動・責任をとることを放棄してきました。
自分らしく光るよ
気がつくと
前よりうらやましい気持ちが少なくなっていました。
今でも出会いやチャンス・
明確な夢や目標があるわけではありません。
特になにかが変わったわけでもありません。
ただ
外側ではない
自分の内側が変化しているような気がします。
今でも参考にしたい人や目標にしたい人がいます。
その人のようになれるかと言われたら、
たぶんなれないだろうと思います。
その人の立ち位置になりたいかと言われたら、
申し訳ないけれど、
あまりなりたくありません。
今の私には荷が重すぎるから。
みんなが同じ大きさ・強さで光らなくてもいい
自分にできること・向いていること(役割)は人それぞれ違う。
そう理解したら、
自分がその時にできることをして、
責任を果たすことが大切だと気がつきました。
理想とする人のように
なれなくても
ならなくてもいいと思えるようになりました。
いつか強い光が隣にいても圧倒されない自分でいれるように
「だれかの光を憧れて追いかけるより自分が光りたいように光る」
それが私の道しるべ
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
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