こちらは2022年10月7日の記事を再編集しました。
久しぶりに友だちと話したら・・
同じ話題を話しているはずなのに、まるで違う話を聞いているような感覚で、とても不思議な気持ち。。正直困惑しました。
視点が違えばこうも違うのか・・・
今までのわたしなら
わたしは何も知らないから、知識がある人に教えてもらわないといけない。わたしは何もできないから、できる人についていけば大丈夫。
この考えが強くて、自分で考えることをしてきませんでした。
真実は何か?
事実はどこか?
真実・事実はいつも一つ。
その一つの真実を知りたくて、それを知っている人がどこかにいると信じて、永遠に探し回っていました。
なぜなら
その一つの真実に、より多くの人が気づくことが最善だと信じていたから。
けれど
自分なりに答えを見出せたと思ったら、別の見方(情報)に出合います。出合ってしまうと、その答えがまた揺らぎます。
自分の正解だと思うことすら、どんどん変化していきます。
こんな状態なのに、
本当に真実って一つなのだろうか?
初めて
疑問を持ちました。
そうだとしたら、
真実なんてものは
事実なんてものは正解と同じ。
人の数だけ存在するもので、
あやふやなものかもしれません。
だったら
わたしはそれを
どう見るのか?どう見たいのか?
他の人から見ると
わたしの考え方は、自分に都合の悪い情報は遠ざけて、自分に都合のいいように解釈しているように捉えられるかもしれません。優柔不断に見えるかもしれません。
もっとちゃんと自分の都合の悪い情報も見ないと公平にならないんじゃない?と思われても仕方がない。
わたしの中では
わたしなりのルールみたいなものがあって、見たくないものを見ないように遠ざけるというより、それがあると知ったうえで選択しないと判断するイメージです。
真実を追求するより、
起きている現象を通して
わたしは何を受けとりたいのだろう?
その現象がわたしを(わたしたちを)、サポートしてくれる・守ろうとしてくれているのなら、ヒントをくれようとしてくれているのなら、どう解釈できるのだろうか??
そうやって
ちょっとわがままに
自分勝手に
自分なりの解釈をしてみる。
(もちろん相手にも同じように自分なりの解釈があると認めること)
一緒でなくてもいい。難しく考えなくてもそれでいいのだ😊なんちゃって。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。
コメント