本当に手放したかったものはなにか?

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こちらは2021年9月27日の記事を再編集しました。

先週からいろいろなものを手放しています。(理由はこちら

いま自分に合うものと合わないものを選別して、
合わなくなったものとは
こころが痛むけれどお別れです。

この作業をやってみると、
持ち物を手放すことは
『想いを手放す』・『書き換えること』と似ている
と感じました。

例えば

今、自分にとって都合の悪いことが起きたとします。

するとわたしは
あの時こうすればよかったとか
どうして起こるまで気がつかなかったんだと考えたり、
まわり(相手や社会)が悪くて自分は被害者だなど
と言い逃れをしてしまいがちでした。

どちらも前提として過去を振り返り、
その出来事が起こらないようにできなかったのか
と悔やむ気持ちがあります。

なぜそう捉えてしまいがちなのかというと
起こったこと(自分にとって都合の悪いこと)が
「悪そのもの」のように感じてしまうから。

悪いことを起こした自分(+まわり)が悪いんだ
と責める気持ちからなかなか離れられませんでした。

そうなるといじけてしまって、
自分は幸せになってはいけない気がしてきます。

どんどん沼にはまり抜け出せなくなると、
自分から自分が不幸になる種(悪いところを探す思考)
を見つけて勝手に繰り返してしまいます。

これは現象を自分で勝手に解釈(自分が悪いと解釈)して、
何度も何度も「あぁ、あのときの自分のこういうところが悪かったんだ。つらい。どうしよう。」と思っていただけかもしれないと思えてきました。

その現象自体にいいも悪いもないのに
自分の解釈をべったりとくっつけていたのです。

今回は過去の自分にがんばったねと伝えられたから、振り返って過去の自分を責めることをしませんでした。自分なりに考えて、がんばってきた自分を否定したくなかったのです。

そのおかげで過去を振り返り悔やむ時間が減り、「今こういう症状があるからこうしてみよう」と今どう対応していくかにフォーカスできている気がします。

その現象自体が悪いわけではないし、
悔やむ気持ちがあってもいい。
失敗することもある。
間違ってもいい。
それも自分だから。

そうやってひとしきり反省したら、
自分をまるごと受けいれて、
今度は今どうするかに考えをシフトしていく。

もう、
自分から見た現象がすべてではないと分かったのだから。

別の視点から見たら「その現象のおかげで大切なことに気がつくサイン」の可能性もあるのです。

幸せはどこにあるの?
といくら探しても見つかりません。

私たちは自分の内に幸せになる力を持っていて、自分がどんな状況でも「ありがたいなぁ」と想い出すだけ。(よく忘れてしまって不幸せでかわいそうな私になります😅)

もしかしたら私たちは幸せだと忘れないように、無意識に自分にとって都合の悪いこと(カンペ)を起こすのかもしれないとすら思います。

そして私が本当に手放したかったのはもの(現象)ではなく、不幸せな自分を探しまわったり、自分を否定する思考グセのループを手放したかったのかもしれません。

それは充分に堪能してきました。

これからは自分が創りだした「不幸な自分」を終わりにして、経験をまるごと受けいれて幸せと愛に満ちた私へ書き換えていこう♪

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最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

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