分からないことが分からなかった

過去の記事

こちらは2021年9月11日の記事を再編集しました。

この記事は繊細さん・HSPのことを書いていますが、
私自身はHSPではない可能性があります。
もしかしたら繊細さん・HSPの特性とは、
異なるところがあるかもしれません。
HSPではない可能性のある人が書いていると
了承の上でお読みくださるとうれしいです。

自分をかわいそうな人にしていた

先日、図書館へ行きこちら↓の本を借りてきました。

「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本 武田友紀著/飛鳥新社

最近よく聞くようになった繊細さん・HSP(非常に感受性が強く敏感な気質を持っている人)のことが詳しく書いてあります。ご興味のある方はぜひ!わたしは前から読んでみたかったので、図書館で見つけたことがうれしくて、意気揚々と借りて帰りました。

HSPのことを一昨年くらいに知り、調べてみるとほとんどの項目にあてはまります。(あてはまらないところもあるため、断定をする自信はありません💦)私は自律神経失調症や発達障害など様々なことを疑われてきました。しかし、結局どれも当てはまるとは断言されずに終わり、ずっとモヤモヤが残っています。カテゴライズしたい願望が満たされない・・・みたいな感じです。

だから繊細さんやHSPというものを知った時は、
生きづらさの糸口を見つけたような気持ちになれました。

やっと
この生きづらさに名前がつけられる!!

うれしい。

しかし
それと同時に「私はこんなに大変です。かわいそうな人なんです。」
という世界にアクセスしてしまう自分がいます。

感受性が強いから傷つけないで、優しくして!
と無意識に要求している自分がよく分かるんです。

わたしはかわいそうな被害者。←自分で勝手に決めていました🤣

繊細だからという前に、私自身がめちゃくちゃ弱かったんです。

繊細・敏感という気質を自分が弱い言い訳に使って、
「私は繊細だから」と定義してしまえば、
私を傷つける相手が悪くなる。(私の中では)

そう思っていました。

この自分さえよければいいというあり方から少し離れたい。
そう思い、自分さえよければいいという自分がいることも受けいれたうえで、他人を思いやるあり方を目指したいと決めて感謝生活をしていったらこの繊細さんの本と出合うことができました。

分からないことが分からない

繊細さんにとって最大の罠は「相手の”わからない”という感覚が、わからない」ことなのです。

「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本 武田友紀著/飛鳥新社P91

繊細さんと非・繊細さんの違いは、繊細さんの想像をはるかに超えています。

「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本 武田友紀著/飛鳥新社P92

「相手も自分と同じように感じているはず」と思って非・繊細さんに接すると、思わぬすれ違いが生じ、誰も悪くないのに傷ついてしまうことがあるのです。

「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本 武田友紀著/飛鳥新社P92

そう!

相手も自分と同じように感じているはず

私もそう思っていました。

分からない人がいると分からなかったのです。

分からないことが悪いわけではなくて、
分からないことが分からなくて行き違いが生まれ、
それに気づかず苦しかったのだと思います。

人によって感じ方は違っていても
そのふり幅は想像ができる範囲内で、
同じ視点からコミュニケーションはできるもの。

そう思いこんでいました。

しかし、そうではなかったんです。

計算がすごく得意な人もいれば
そうでない人もいるように。

「私はこう想う」と言われたら、
言葉のままその通りに受けとる人がいる。

「私はこう想う」と言われても、
表情や声のトーン・抑揚などで
「こころの中ではそう想っていないな」
と分かる人がいる。

不機嫌な人・怒っている人がいると
その人が態度に出さなくても
雰囲気だけで分かる人もいる。

思いのほか、振れ幅がありそうです。

相手を尊重しながら交流することはどういうことか?

私は最近まで
言葉をそのまま受けとる人がいると分からなかったため、
言葉にしなくてもある程度伝わると思っていました。

言葉にしないと
相手に伝わらないことが分からなかったのです。

私は相手に「私はこう想う」と言われても、表情や声のトーン・雰囲気などで「そう想っていない」ことがなんとなく分かることがあります。(すべてではありません)みんながそうだと思っていたのです。

「本当はこう想ってるよね」という視点で話をすると、
「きついことを言われた」とか
「そんな話はしていない!」
と言われることがいっぱいありました。

なぜそういう反応になるのだろう?とずっと考えていました。
最近気がついたこととして
「自分を否定されていると勘違いしてしまうから」ではないか?という仮説です。

私としてはただ本当はこう想っているよね?という確認のつもりが、相手にとって触れられたくない部分に触れてしまうため、あの人は自分を否定しているから守らなければいけないという防御態勢になるのではないか?と考えるようになりました。

それが分からなかったのです。
分からなくて
もっと相手に怒られないようになりたい
優しくしなければ仲よくしてもらえない
と思っていました。

なので
本当はこう想っているよね?ということは、怒られるから相手に嫌な想いをされるから、言ってはいけないと思いこんできました。

今考えると
触れられたくないことに触れられると、
だれだっていい気持ちはしません。

なにか理由があって、今は触れられたくないのかもしれません。

それなのに
私は土足でその場所に侵入していました。

触れられたくない部分があるときは、それを尊重することも、相手を思いやることの一つ。

私はすべてオープンな関係だけが素敵と、これもまた勘違いしていました😅

この本に出合ったおかげで、相手の分からない感覚が分からないと気づけました。自分の気持ちを分かってもらうために、伝えるを努力していこうと思えるようになりました。

そして反対に
すべて理解されなくてもまぁいいか。
私も分からないところがあるし。
と肩の力をぬいて相手と接するようになれました。

一人ひとり違って当たり前♪

相手は自分と一緒と考えたくなったり、
当たり前だと思うと
説明を省きたくなってしまいます。

ですが
分からないもの同士が交流するには、
お互いを知っていく必要があります。


まず自分のことをよく知り、
自分の自己紹介ができるようする

そして

違う特性があるかもしれないと
想像しながら、
相手のことを教えてもらう。

そこから
始めていきたいなと
思いました。

最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて。

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